意識の高い公務員のブログ

政令市で働く地方公務員のブログ(出向は役所のみ)。自治体職員にも民間の経営感覚が必要とされています。

空き家バンクと立地適正化

国交省が空き家バンクの統合(同一化)を目指している。今は各自治体が好きなようにやっているバンクを、国交省が一纏めにするらしい。得するのは一体、誰だろうか。

それはそうと、空き家バンクの物件を見ていると、駅から車で数十分もかかるような場所のものが多い。田舎暮らしをしたい人向けには良い物件なのかもしれないが、、、

立地適正化計画を作っているにも係わらず空き家バンクを使って、居住誘導区域外に移住を勧めるのはいかがなものか。

そもそも立地適正化計画は市街化調整区域内の既存建物のことを一切考えていない。調整区域は居住誘導区域に指定できないのだ。というわけで、バンクに調整区域の物件を登録して移住を呼び込むのは立地適正化計画に矛盾している。

居住誘導区域内の物件をバンク登録し、移住を推進している場合は、立地適正化計画に適合していると判断して良いでしょう。

今、公務員に必要な「非リア的思考」

最近、フェイスブックを見ていると、大学のサークルのようなノリの公務員の活動が目立つ。ちなみにこれは褒め言葉であって、堅苦しい公務員のイメージを払拭し、みんなでワイワイ地域活性化活動をする。これは非常に大切なことである。

ただ、これらの活動は、いわゆるリア充的思考」に基づいて行われているように感じる。どういうことか?こういった地域活性化活動を行っているのは、公務員とNPO、あとは市民有志であるパターンが多い。これらの人々は基本的に、困っていない。つまり充実していて余力がある。余力があるからこそ、地域活性化活動を行っている。では、その地域活性化活動が何かというと実ははっきりしない。セミナーを開いたりもしている。

公務員と、公務員で無い人が一緒に地域活性化活動を行うことは、いわゆる「協働」というやつだが、見方によっては単なる「異業種交流」にも見えてしまう。

 

そこで、今公務員に必要なのは「非リア的思考」である。

まず、公務員やNPO、市民有志等の充実していて余力がある人が集まるまでは、リア充的思考と同じだ。勿論、充実していなくて余力がない人が混じっていていい。

そして、行う事業を「非リア向け」にする。

セミナーなんてのに困っている人は来ない。「あまり困っていないけど面白そうだから行ってみよう」という人がほとんどであって、本当に困っている人はセミナーに行く余力がない。

では、困っている人、つまり非リアな人は誰か?例えば貧乏な高齢者、未婚アラフォーの人、学校でいじめられて孤立している学生…色々いる。

リア充は強者で、非リアは弱者である。弱者を救うのが、強者の務めではないだろうか。

意識高い系公務員の増加

最近、意識高い系公務員が増えているように感じる。

「意識高い系」という言葉はゼロ年代後半くらいから、就活をする大学生を揶揄して使われ始めた言葉だ。口は達者だが中身が伴っていない大学生を指すらしい。特徴として、

・人脈アピール

・有名な場所行ったアピール

・要するに自己顕示欲が高い

等が挙げられる。

そして今、学生時代に「意識高い系」だった者が公務員になり、また、そういった公務員に影響されてか、「意識高い系公務員」が増えているように感じるのだ。これは非常に厄介だ。

 

<何が厄介なの?>

一言でいえば、周りに評価されている点である。

まず、公務員は基本的に意識が低い。勿論、地元出身で、地元のために働きたい「意識高い」公務員も一定数いるが、そうでない公務員がほとんどだ。

ここで、意識が低いというのは真面目に働いていないという意味ではない。真面目に働いてはいる。しかし決まったことを正確に遂行することに務めるだけで、現状打破や改革能力はほとんどないと言っていい。当然、自ら行動を起こすこともない。

確かに、例えば住民課や市民窓口課ならば、来庁者に対し、申請された書類を正確に渡すのが責務だ。他人の住民票を間違って渡してはならない。だから、ミスをせず、適切に書類を交付できていればとりあえず60点(大学の成績でいう可)は与えられる。しかしこれでは意識が低いと言わざるを得ない。

一方、意識高い系は70点ぐらいである。つまり、意識の低い公務員より点数が高い。が、それはあくまで上司からの評価だ。意識の低い公務員が多いため、意識高い系の行動をとると、上司の目には「お、こいつはやる気があるな。多少の失敗は許してやろう」と映る。

つまり、必ずしも良い行動をとっているわけでなくとも、成長の過渡期とみなされ、評価が高くなってしまうのだ。

 

<実体験>

私も意識高い系公務員(20代の男で、1年だけ民間で働いていたらしい)とともに仕事をしたことがある。あまり話はしたことがなかったが、廊下ですれ違う時に声くらいはかけていた。そして行動力があるのも知っていたので、勝手に高く評価していた。学生時代に様々な活動をしていたようだから、てっきり意識の高い人間だと思っていた。

が、実際にともに仕事をしてみるとそうでもなかった。

まず、自分で物事を決定できない。我を通そうとするのだが話が全く論理的でなく、困ったら人脈を使って多数決を取ろうとする。プラトンもビックリの衆愚政治だ。かつ、締め切りが迫ると「ヤバいんです~どうしましょう」等と言ってくる。ヤバいのは重々承知している。物事が決まらないのはキミのせいだと言いたいがグッとこらえる。

私はボトムアップの議論は重要と考えていたが、これを機にトップダウンを重視しようという気持ちが高くなったものだ。

このように、できる人間と見せかけて内実が伴っていない公務員を、私は意識高い系公務員と呼んでいる。

 

<意識高い系にならないために>

セミナーに行って写真を撮りSNSに上げる学生が多いのはよく知られているが、それは社会人でも同じことだ。同僚が「今日は○○セミナーに行ってきました」と、集合写真付きでSNSに上げているのを見ると頭が痛くなる。

無論、このような人間すべてが意識高い系というわけではない。特にセミナー主催者は意識高い系の人間を釣って収益を得るビジネスモデルを構築した「意識が高い」「有能な」人間である場合が多いだろう。参加者の中にも成果を発揮した人はいるだろう。が、私はこういうセミナーには行かないようにしている。判別方法として、

〇大学教授や官僚、あるいはそのOBが講師のセミナー

×NPOやどっかの自治体の有志が企画したセミナー

というのがある。後者の地雷率は高い。適当にブレストし、付箋に意見を書いてペタペタ貼り、人脈(?)を形成して集合写真を撮影、セミナー後はフェイスブックで繋がる。これで役満だ。若いころは行っていたが違和感があり、行かなくなった。

一方で前者のセミナーは写真を撮ったりブレストはしない。一般的に講義形式が多く、最後に質問時間が設けられることもある。参加者と議論ができないというデメリットはあるものの、基本的に意識高い系セミナーの議論というものは相手を批判せずに自由に意見を出して承認欲求を満たすだけなので、議論がしたいのなら知の拠点に位置づけられている施設等に行ったほうが良いだろう。あるいはセミナーよりも、読書会等で趣味の合う人を探したほうが議論できるかもしれない。

 

<最後に>

意識高い系学生は「他人を批判する」とよく言われる。しかし意識高い系公務員は相手を批判しない。先にも述べたように、ブレスト付箋ペタペタで自分の意見を言って互いに承認欲求を満たすことを目的としているため、批判が無いのだ。だから、「意識高い系=相手を批判する」という固定観念があると、意識高い系公務員を判別するのは難しい。本来、建設的な批判は必要なはずだ。否定されることを恐れていては何も生まれない。まぁ、公務員も承認欲求が高まるほど、生きづらい世の中になっているのかもしれない。

発想法について

佐賀県が海苔で名刺を作ったらしい。

食べる名刺とでも言ったところか。

面白い発想。アイデアはどんどん出して、お金がかからないのであれば実行していくべきだと思う。これが正しいPDCAだろう。

 

イデアを出すときには当然、発想が必要になる。

発想というのはパッと思い浮かぶこともあるが、頭の中で考える場合、どういう風に考えるかは人それぞれだと思う。

ので、有効な発想法を2つ紹介。

 

①逆に考える。

②既存のものを組み合わせる。

 

①について、これは簡単で、例えば「○○の啓発イベントをやりたいんだけど、若者が中々こない」という悩みを抱えている場合。

こういう場合、普通の職場では以下のような議論になることが多い。

「若者ってSNSやってるよね。SNSで宣伝しよう」

「若者が行きそうな居酒屋にチラシを置いてもらおう。」

正直、これでは来ない。なので逆に考える

若者が来るイベントで、○○の啓発をやる。

その若者が来るイベントってのは自治体によって異なると思う。

そこで、②の既存のものを組み合わせるを使う。

既存の若者向けイベントで啓発事業をやるとか。

当たり前だが、例えばステージのあるイベントなんかにその啓発事業をぶち込んで、啓発事業用のブースやステージを設置しても若者は来ません。メインステージなりブースに行きます。工夫しましょう(スタンプラリーにするとか)。

自治体は交流人口を気にしなさすぎである

自治体の地方創生戦略等を見ていると、「交流人口○○人」というのが目標に掲げてあるのを目にする。

はっきり言って何がしたいのか分からない

ここで言う交流人口とは、イベント等の総参加者数である場合が多い。

例えば毎年やっている自治体のお祭りがあり、

 

本市では○○祭りを××年前から行っており、毎年多くの観光客で賑わっています。

そこで、この○○祭りに関して以下のように目標設定します。

「○○祭りを通じて交流した人数 △△人」

 

・・・

いやおかしい

交流して何になるというのだろうか。

例えば街コンで、カップル成立数を増やすために、フリートーク時間を工夫して、しゃべる男女のペア数を増やす、そういう意味での交流数ならわかる。しかし自治体の祭りに参加して、見ず知らずの人と誰がおしゃべりするのだろうか?せいぜい屋台の店員と話すくらいだろう。見ず知らずの人に気軽に話しかける人がいたらそれはナンパだ。

そしてこの交流人数という謎の指標(KPI)を達成するために今日も地方創生加速化交付金が消費されている。なんてことだ。これでは地方消滅加速化交付金ではないか!

私の勤める自治体でも毎年祭りをやっており、市内の友人が屋台を出していたが少し前から「採算がとれないから」ということで出店をやめた。ちなみに交流人数は自治体が設定した人数をクリアしている。意味ねぇーーー!!!

 

交流人口を設定するのなら、例えば平均客単価を算出し、売上目標を定め、そのために○○人の来客を目標にするべきではないだろうか?

ちなみに交流人口を達成し、祭りの担当者は「これで上司に怒られずに済む・・・」と胸をなで下ろしているであろうが、そもそもこんな目標を設定している時点で上司もろとも住民に怒られるべきだ。

 

意味のある数値目標をお願いしたい。

 

 

日本の教育はどこが終わっているのか。

自治体職員をやっているとあまり良いニュースを聞かない。

自虐史観という言葉がある。元寇を「元の遠征」と称しながら、秀吉の朝鮮出兵を「日本の侵略」と呼ぶように、日本の過去の行いを悪いことだと思う考え方のことである。

悪いことを反省するのは良いことであるが、自分を責めすぎて本質が見えなくなるのは良くないことだろう。

 

自治体職員をやっていると、見つけないといけないのは課題である。

実は自治体は解決しようのない課題をいくらでも持っているので、課題を見つけること自体は簡単である。しかし解決するのは難しい。そして解決しろと命令してくる上司がいるので非常に困ったものである。

 

課題の1つとして日本人の学力の向上がある。

日本人の学力は低下しているのだろうか?上昇しているのだろうか。

答えは「上昇している」なのだが、こんなものはネットで検索するまでもなくわかるだろう。学力が低下しているにもかかわらず英語教育やプログラミング教育を始めるわけがない。今の学力が一定のレベルに達しているから、新しいことができるのである。

PISAという国際的な試験があるが、その試験で日本は上位を取っている(アメリカやイギリスより上)。

 

じゃあ日本の教育にはどこに問題があるのか。いろいろある。きりがない。生徒個人だけじゃなく、制度、施設、先生について…色々あるわけだが、致命傷ではない。

じゃあ致命傷なのはどこか。

私は大学教育だと思っている。

日本の大学レベルは低くはないものの、近年は順調に低下している。

神戸大学は怪しい。広島大学は伸びている。

東大は女子に対してのみ家賃補助をすると決めた。賛否両論あるが私はダメだと思う。しかし残念ながら日本は女性に甘い社会なので、男性差別だという声は届いていないようだ。

ちなみに大学が劣化したのは間口を広げた結果、受かるはずでない層が受かったからだというのは有名な話だが、似たような話は当然、高校でも存在する。原因はどうあれ受かるはずでない層を受からせるシステムにした結果、学生のレベルが落ちたという話である(東京の高校のお話)。

 

日本の大学の進学率は伸びている。

OECDランキングでは下位なものの、率自体は上がっている。

なので、大学はいい加減、「大学の進学率を伸ばす」のか、「進学率は低くても良いから優秀な学生を増やすのか」決めたほうが良い。決められないなら文科省に決めてもらうしかない。国の言いなりになるのは結局のところ、大学が決められないからなのではないかと思う。

消えない地方、シティプロモーション等

先日、とある公務員向け冊子を読んでいたら鳥取県C町の職員さんの記事があった。

行政関係者なら知っている人も多いかもしれない。人口は1万人未満だが、地方創生なり協働なり子育てなりの分野で有名な町。

重要なのは2点。

①住民主体のまちづくりが進められている。

②それに魅力を感じ、移住を希望する人もいる。

 

まず①に関しては、やはり人が減ってきたり田舎だったりするとこういう自治体が出てくるのだなぁと。

次に②に関して。これは良い人口の増え方である。というのも人口増というものを、量的な目で見るか質的な目で見るかということである。

分かりやすく言えば、成人式でオラついた格好をするような若者が1000人移住してくるよりも、良識的な普通の人が100人移住してくれた方が良いまちになるだろう、ということである。

 

シティプロモーションの話にもなってくるのだが、多くの自治体は地理的利便性や子育て充実(ただし何がどう充実しているのかは曖昧)を前面に出し、人口増を狙っている。しかし地理的利便性など周辺に住んでいるか、あるいはどこかからその自治体付近に引っ越そうと思っている人なら誰でも知っているし、不動産業者でも聞くだろう。

たまに何も説明せず私鉄の名前を出して2WAYアクセスをアピールしている自治体もある。

一方で住民活動でシティプロモーションをしている自治体は少ないのではないか。

例えば、住民自治が進んでいる自治体があったとして、それに魅力を感じた人が移住してくれば、その人も自治活動に参加する可能性がある。つまり持続可能性が見えてくる。

しかし単に人口の「数」だけを増やすのであればいずれ地域は家が建たなくなってパンクするし、下手したら都市計画区域の見直しや空き家問題が深刻化する可能性もある。チキンレースのようだ。

また、住民活動が進んでいる自治体は残念ながら少ないため、わざわざ自ら発信しなくても行政関係者(国)とかメディアが取り上げてくれたりする。

 

個人的には都市に近い自治体(いわゆるベッドタウン)はシティプロモーションをするよりも公共事業をしていた方がまだマシだと思っている。