意識の高い公務員のブログ

政令市で働く地方公務員のブログ(出向は役所のみ)。自治体職員にも民間の経営感覚が必要とされています。

自治体の法制執務とシミュラークル

自治体の法制執務を見ていて思ったことがある。

そこで、条例や要綱について感じたことを書いていく。

 

その協議会、要綱で設置していいの?

 

各自治体にはいろんな種類の協議会がおかれていると思う。

体育館運営協議会とか、環境対策審議会とか、公共交通検討会議など…

こういったものは地方自治法138条4の3にある「附属機関」と呼ばれるものだが、

設置は法律または条令委任による。

つまり、

 

要綱で設置してはいけない

 

ということである。

逆に言えば、要綱で設置されている協議会や審議会は、附属機関ではなく任意団体、懇話会、ミーティングする人たちである。

 

そして、最近、自身で法制執務をしていて思ったのが、

要綱設置の協議会が多いのなんの

本当はダメである。いや、ダメではないが、要綱設置の協議会は単なる意見交換をする場であり、市長の諮問に対し答申するような機能は持ち合わせていない。本来は。

 

実は業務上、他市に要綱設置協議会について聞いてみたことがあるのだが、

「法務部署には特に何も言われなかった

との返事が返ってきたことがある。なんということだ!

グーグルで「協議会 要綱」で検索すると結構出てくる。恐らくこの中には本来は条例で設置すべき附属機関もあるのだろう。そもそも、誰も指摘しないのであれば法律が怪しいのかもしれない。

 

条例は議会を通さないといけないので、制定が非常に面倒である。一方で要綱程度であれば部長や局長程度の決裁でも作れるので非常にスピーディである。

実際私も仕事をしていて、そんな細かいところまで気にしなくても良いのではないかと思ったりもしたが、これがルールなので仕方ないだろう。

 

さて、ではなぜこのように、本来のルールに沿っていない協議会が繁茂しているのか。

それが今回のタイトルでもあるシミュラークルである。

シミュラークルというのは「オリジナルなきコピー」とも言われるが、要するに例規を作る際に自治体オリジナルのものを作るよりも、既存の他市例規をパクった方がやりやすい。上司への説明も、「○○市でも同様にしています」とでも言えば大体通る。そしてそのパクリ元も、どこかの例規をコピペしていたりする。このように、元々の起源が何なのかはわからないが、各自治体がコピペで例規を作っている現象を、シミュラークル現象と呼ぶ(筆者が勝手に呼んでいる)。

コピペ例規は悪くはない。法務は前例を重んじるので、むしろそれが普通だ。しかし何も考えずにコピペすると、実はそれが正しくなかったというケースもあり得るのだ。

 

皆さんの自治体では大丈夫だろうか?

空き家問題はそろそろ所有権とか固定資産税の話を進めたほうが良い

空き家問題が社会問題化している。

空家対策の推進に関する特別措置法という法律あるが、この法律では適切に管理されていない空き家が問題となっている。

都市部ではこの問題はその通りである。何故なら住宅が密集しているので、適切に管理されていない空き家の周辺で生活している人にとっては迷惑だからだ。

しかし、地方の田舎ではそんな問題は発生しない。何故なら田んぼや山に囲まれた家がポツポツと建っているだけだからだ。

では田舎ではどんな問題が発生しているか。

 

「誰も使わない空き家(及び付帯する山林や田畑)の固定資産税を永久に払わされ続ける」

 

大問題である。

ちなみに、よく言われる「人口減少で地域の活力が失われる」というのは問題ではない。田舎ではそもそも活力がないからだ。

 

都市部ではこのような問題は発生しない。

なぜなら空き家は売れるからだ。更地にして売っても良い。数千万円で売れるのが普通である。都市部ではむしろ住宅用地が足りず、未だに山林を切り開いて開発をしているところだらけである。

 

田舎の空き家・空き地問題は解消が難しい。

何故なら好き好んで不便なところに住む人はいないからだ。しかし日本の制度では固定資産税は永遠に払わねばならず、所有権の放棄が出来ない。

民法上、所有者のいない不動産は国のものになることになっているが、現実問題としてそうなるケースはほぼない。というか無いと言っていいレベル。

現在の所有者が死亡すれば、相続登記をしなくても法律上は相続したことになるので、書類上は死亡者が所有したまま、その配偶者や兄弟姉妹、子が固定資産税を払う。以下、日本が滅びるまで同じことが続く(税制が変わらない限り)。

 

では、所有権の放棄が出来ないとして、固定資産税の支払いを拒むことはできるのか?

結論から言うと、ほぼできない。では、できる場合とはどういうものなのか?これは、今からその方法を取ればできるというものではないが、固定資産税が払われていない代表的なケースを挙げよう。

 

①所有者が沢山いすぎて特定できない

②相続人がいない

 

①のパターンは、登記簿上の所有者がかなり昔に亡くなっていて、法定相続人が大量になり、誰に課税すればいいかわからないパターン。普通は役所が法定相続人の内から1人を指定して税を払わせるが、それを断念するパターン(課税保留とか課税留保という)。

②のパターンは、死亡した所有者の親族がいないか、全員死んでいるパターンである。今後、未婚のまま亡くなる人が増えると予想されるので、このパターンは増加すると思われる。

 

このように、今払っている固定資産税を、来年度から払わなくて済む、という方法はない。

 

ちなみに、両親が共に田舎出身の男性Aさんと、同じく両親が共に田舎出身の女性Bさんがいたとしよう。

Aさんは両親が亡くなった後、その不動産を相続するので、両親の実家と自分の家の固定資産税を払わなくてはいけない。同様に、Bさんも両親の実家の固定資産税を払うことになる。

では、AさんとBさんの子供Cさんがいるとして、AさんとBさんが死亡したとしよう。

すると、Cさんは自分の祖父母の家と、自分の両親の家、さらに自分の家の6つの不動産の固定資産税を払わなくてはいけなくなるのだ。

そんな馬鹿なとお思いかもしれないが、これが今の日本のシステムである。

この問題はまだ大きく取り上げられていないが、団塊の世代が亡くなり始めると、より深刻な問題になると思われる。Cさんに兄弟姉妹がいればまだましだ。それぞれで負担を分ければいいからだ。しかし1人っ子なら最悪である。

 

…と、ここまで読んだ方の中には、「結婚して子供を産んでも、1人しか産めなかったら、子供に迷惑がかかるな」と思われた方もいるだろう。

その通りである。こんな制度になっているのなら、子供を作らないほうがマシとも考えられる。固定資産税から逃れる方法は、血筋を断絶する以外無いからだ。

 

相続放棄すればいいんじゃないの?と思われる方もいるかもしれない。

しかし現実は、放棄しても固定資産税は支払わされるのである。また、相続放棄は相続財産全てを放棄しないといけない。つまり仮に預貯金があった場合、それも放棄となる。なので今の日本ではどうなっているかというと、使わない空き家(と、空き地)も相続して、しぶしぶ固定資産税を払い続けているのである。

 

田舎出身者と都市部出身者では、親の死亡時に大きな差が出る。

このような制度で良いのだろうか?

日本は所有権の放棄や固定資産税の免除などを考えたほうが良いのではないだろうか。

空き家バンクと立地適正化

国交省が空き家バンクの統合(同一化)を目指している。今は各自治体が好きなようにやっているバンクを、国交省が一纏めにするらしい。得するのは一体、誰だろうか。

それはそうと、空き家バンクの物件を見ていると、駅から車で数十分もかかるような場所のものが多い。田舎暮らしをしたい人向けには良い物件なのかもしれないが、、、

立地適正化計画を作っているにも係わらず空き家バンクを使って、居住誘導区域外に移住を勧めるのはいかがなものか。

そもそも立地適正化計画は市街化調整区域内の既存建物のことを一切考えていない。調整区域は居住誘導区域に指定できないのだ。というわけで、バンクに調整区域の物件を登録して移住を呼び込むのは立地適正化計画に矛盾している。

居住誘導区域内の物件をバンク登録し、移住を推進している場合は、立地適正化計画に適合していると判断して良いでしょう。

今、公務員に必要な「非リア的思考」

最近、フェイスブックを見ていると、大学のサークルのようなノリの公務員の活動が目立つ。ちなみにこれは褒め言葉であって、堅苦しい公務員のイメージを払拭し、みんなでワイワイ地域活性化活動をする。これは非常に大切なことである。

ただ、これらの活動は、いわゆるリア充的思考」に基づいて行われているように感じる。どういうことか?こういった地域活性化活動を行っているのは、公務員とNPO、あとは市民有志であるパターンが多い。これらの人々は基本的に、困っていない。つまり充実していて余力がある。余力があるからこそ、地域活性化活動を行っている。では、その地域活性化活動が何かというと実ははっきりしない。セミナーを開いたりもしている。

公務員と、公務員で無い人が一緒に地域活性化活動を行うことは、いわゆる「協働」というやつだが、見方によっては単なる「異業種交流」にも見えてしまう。

 

そこで、今公務員に必要なのは「非リア的思考」である。

まず、公務員やNPO、市民有志等の充実していて余力がある人が集まるまでは、リア充的思考と同じだ。勿論、充実していなくて余力がない人が混じっていていい。

そして、行う事業を「非リア向け」にする。

セミナーなんてのに困っている人は来ない。「あまり困っていないけど面白そうだから行ってみよう」という人がほとんどであって、本当に困っている人はセミナーに行く余力がない。

では、困っている人、つまり非リアな人は誰か?例えば貧乏な高齢者、未婚アラフォーの人、学校でいじめられて孤立している学生…色々いる。

リア充は強者で、非リアは弱者である。弱者を救うのが、強者の務めではないだろうか。

意識高い系公務員の増加

最近、意識高い系公務員が増えているように感じる。

「意識高い系」という言葉はゼロ年代後半くらいから、就活をする大学生を揶揄して使われ始めた言葉だ。口は達者だが中身が伴っていない大学生を指すらしい。特徴として、

・人脈アピール

・有名な場所行ったアピール

・要するに自己顕示欲が高い

等が挙げられる。

そして今、学生時代に「意識高い系」だった者が公務員になり、また、そういった公務員に影響されてか、「意識高い系公務員」が増えているように感じるのだ。これは非常に厄介だ。

 

<何が厄介なの?>

一言でいえば、周りに評価されている点である。

まず、公務員は基本的に意識が低い。勿論、地元出身で、地元のために働きたい「意識高い」公務員も一定数いるが、そうでない公務員がほとんどだ。

ここで、意識が低いというのは真面目に働いていないという意味ではない。真面目に働いてはいる。しかし決まったことを正確に遂行することに務めるだけで、現状打破や改革能力はほとんどないと言っていい。当然、自ら行動を起こすこともない。

確かに、例えば住民課や市民窓口課ならば、来庁者に対し、申請された書類を正確に渡すのが責務だ。他人の住民票を間違って渡してはならない。だから、ミスをせず、適切に書類を交付できていればとりあえず60点(大学の成績でいう可)は与えられる。しかしこれでは意識が低いと言わざるを得ない。

一方、意識高い系は70点ぐらいである。つまり、意識の低い公務員より点数が高い。が、それはあくまで上司からの評価だ。意識の低い公務員が多いため、意識高い系の行動をとると、上司の目には「お、こいつはやる気があるな。多少の失敗は許してやろう」と映る。

つまり、必ずしも良い行動をとっているわけでなくとも、成長の過渡期とみなされ、評価が高くなってしまうのだ。

 

<実体験>

私も意識高い系公務員(20代の男で、1年だけ民間で働いていたらしい)とともに仕事をしたことがある。あまり話はしたことがなかったが、廊下ですれ違う時に声くらいはかけていた。そして行動力があるのも知っていたので、勝手に高く評価していた。学生時代に様々な活動をしていたようだから、てっきり意識の高い人間だと思っていた。

が、実際にともに仕事をしてみるとそうでもなかった。

まず、自分で物事を決定できない。我を通そうとするのだが話が全く論理的でなく、困ったら人脈を使って多数決を取ろうとする。プラトンもビックリの衆愚政治だ。かつ、締め切りが迫ると「ヤバいんです~どうしましょう」等と言ってくる。ヤバいのは重々承知している。物事が決まらないのはキミのせいだと言いたいがグッとこらえる。

私はボトムアップの議論は重要と考えていたが、これを機にトップダウンを重視しようという気持ちが高くなったものだ。

このように、できる人間と見せかけて内実が伴っていない公務員を、私は意識高い系公務員と呼んでいる。

 

<意識高い系にならないために>

セミナーに行って写真を撮りSNSに上げる学生が多いのはよく知られているが、それは社会人でも同じことだ。同僚が「今日は○○セミナーに行ってきました」と、集合写真付きでSNSに上げているのを見ると頭が痛くなる。

無論、このような人間すべてが意識高い系というわけではない。特にセミナー主催者は意識高い系の人間を釣って収益を得るビジネスモデルを構築した「意識が高い」「有能な」人間である場合が多いだろう。参加者の中にも成果を発揮した人はいるだろう。が、私はこういうセミナーには行かないようにしている。判別方法として、

〇大学教授や官僚、あるいはそのOBが講師のセミナー

×NPOやどっかの自治体の有志が企画したセミナー

というのがある。後者の地雷率は高い。適当にブレストし、付箋に意見を書いてペタペタ貼り、人脈(?)を形成して集合写真を撮影、セミナー後はフェイスブックで繋がる。これで役満だ。若いころは行っていたが違和感があり、行かなくなった。

一方で前者のセミナーは写真を撮ったりブレストはしない。一般的に講義形式が多く、最後に質問時間が設けられることもある。参加者と議論ができないというデメリットはあるものの、基本的に意識高い系セミナーの議論というものは相手を批判せずに自由に意見を出して承認欲求を満たすだけなので、議論がしたいのなら知の拠点に位置づけられている施設等に行ったほうが良いだろう。あるいはセミナーよりも、読書会等で趣味の合う人を探したほうが議論できるかもしれない。

 

<最後に>

意識高い系学生は「他人を批判する」とよく言われる。しかし意識高い系公務員は相手を批判しない。先にも述べたように、ブレスト付箋ペタペタで自分の意見を言って互いに承認欲求を満たすことを目的としているため、批判が無いのだ。だから、「意識高い系=相手を批判する」という固定観念があると、意識高い系公務員を判別するのは難しい。本来、建設的な批判は必要なはずだ。否定されることを恐れていては何も生まれない。まぁ、公務員も承認欲求が高まるほど、生きづらい世の中になっているのかもしれない。

発想法について

佐賀県が海苔で名刺を作ったらしい。

食べる名刺とでも言ったところか。

面白い発想。アイデアはどんどん出して、お金がかからないのであれば実行していくべきだと思う。これが正しいPDCAだろう。

 

イデアを出すときには当然、発想が必要になる。

発想というのはパッと思い浮かぶこともあるが、頭の中で考える場合、どういう風に考えるかは人それぞれだと思う。

ので、有効な発想法を2つ紹介。

 

①逆に考える。

②既存のものを組み合わせる。

 

①について、これは簡単で、例えば「○○の啓発イベントをやりたいんだけど、若者が中々こない」という悩みを抱えている場合。

こういう場合、普通の職場では以下のような議論になることが多い。

「若者ってSNSやってるよね。SNSで宣伝しよう」

「若者が行きそうな居酒屋にチラシを置いてもらおう。」

正直、これでは来ない。なので逆に考える

若者が来るイベントで、○○の啓発をやる。

その若者が来るイベントってのは自治体によって異なると思う。

そこで、②の既存のものを組み合わせるを使う。

既存の若者向けイベントで啓発事業をやるとか。

当たり前だが、例えばステージのあるイベントなんかにその啓発事業をぶち込んで、啓発事業用のブースやステージを設置しても若者は来ません。メインステージなりブースに行きます。工夫しましょう(スタンプラリーにするとか)。

自治体は交流人口を気にしなさすぎである

自治体の地方創生戦略等を見ていると、「交流人口○○人」というのが目標に掲げてあるのを目にする。

はっきり言って何がしたいのか分からない

ここで言う交流人口とは、イベント等の総参加者数である場合が多い。

例えば毎年やっている自治体のお祭りがあり、

 

本市では○○祭りを××年前から行っており、毎年多くの観光客で賑わっています。

そこで、この○○祭りに関して以下のように目標設定します。

「○○祭りを通じて交流した人数 △△人」

 

・・・

いやおかしい

交流して何になるというのだろうか。

例えば街コンで、カップル成立数を増やすために、フリートーク時間を工夫して、しゃべる男女のペア数を増やす、そういう意味での交流数ならわかる。しかし自治体の祭りに参加して、見ず知らずの人と誰がおしゃべりするのだろうか?せいぜい屋台の店員と話すくらいだろう。見ず知らずの人に気軽に話しかける人がいたらそれはナンパだ。

そしてこの交流人数という謎の指標(KPI)を達成するために今日も地方創生加速化交付金が消費されている。なんてことだ。これでは地方消滅加速化交付金ではないか!

私の勤める自治体でも毎年祭りをやっており、市内の友人が屋台を出していたが少し前から「採算がとれないから」ということで出店をやめた。ちなみに交流人数は自治体が設定した人数をクリアしている。意味ねぇーーー!!!

 

交流人口を設定するのなら、例えば平均客単価を算出し、売上目標を定め、そのために○○人の来客を目標にするべきではないだろうか?

ちなみに交流人口を達成し、祭りの担当者は「これで上司に怒られずに済む・・・」と胸をなで下ろしているであろうが、そもそもこんな目標を設定している時点で上司もろとも住民に怒られるべきだ。

 

意味のある数値目標をお願いしたい。